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◆神武以前三代記 瓊瓊杵尊―彦火々出見尊―鵜葺草葺不合尊 |
第1章 はじめに
古事記・日本書紀では所謂神代を天神七代、地神五代と分けています。国常立尊から豊受大神までの七代を天神、即ち天上に住んで国を治めた神様です。豊受大神のお子、天照大神から鵜萱不合葺尊まで五代を地神、即ち地上に降りてきて国を治めた神様です。しかし私はこの列島で当時最大の人口を抱え一番先進の地域は、財力は勿論、東北、関東、中部、近畿、遠くは中国地方の広島辺りまで指導的影響力を保っていた千葉県の北総台地に居住し一つの社会とも云える大集落を維持し、古事記・日本書紀が伝える国常立尊を祖とした国狭来槌尊―豊国主尊―大濡煮尊―大殿内尊―面足尊の系統と思います。第六代面足尊には世継ぎの御子が無く、その後継をめぐって各分家らの間で争いが起こりました。二代目の国狭槌尊の御代に十の分家が出来ましたが一番遠い分家の葉木国神の系統が一番力が当時有った様です。この分家の当主は代々高皇産(たかみむす)霊(び)といわれ、五代目は特に豊受大神と呼ばれていました。分家どうしの紛争は長引き、この豊受大神は両面尊から分派行動をおこし、東北地方松島の近く今の多賀城市に集団で移住をして、自ら【東の君】と称しました。この高皇産(たかみ)霊(むすび)(豊受大神)を地神に移し天神六代、地神六代とするのが合理的と思っています。この高皇産霊系の神が現在に続く日本国天皇の系統です。その地神六代の内、瓊瓊杵尊からー彦火々(ひこほほ)出(で)見(みの)尊(みこと)―鸕(うが)葺(や)草葺不合(やふきあえず)尊(みこと)の三代についての出来事を秀真伝の記述を中心に、日本書紀・古事記・先代旧事本記の記述と比較検討して申し述べましょう。豊受大神・天照大神・忍穂耳尊については今までの拙著や、このホームページにて度々申し述べてきました。より良き理解のため再び私見をのべるのもあるとは思いますが、そこには矢張り焼き直しの写真の如く何か焦点がぼけることは避けられません。必要に応じて文脈に挿入にして簡素化を図り、現代に共通する神代の神々の心情を描きたく思います。古事記・日本書紀・先代旧事本記の記述も必要と考える箇所には併記して、現代社会で求められている現実味のある超古代の歴史描写に少しでも近づきたいと思います。
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