おとぎ話でない現実的歴史を伝えたい。日本の超古代史への誘い

その時歴史が動いた・箸墓古墳(5)

 第九代開化天皇となった稚日本根子彦尊は何分この点の配慮が足らず、自由奔法放のお方であったようだ。父と子の程の年齢差があった孝元天皇と違い、内待后伊香色謎とこの天皇は年の差がない。共の持つ胸に持つ何かを互いに育み、それが次第に大きくなって隠しきれず、何かが起こったとしても不思議でないと私は思うのである。上古にも同じ疑念を持つものがあり、大御気主もその一人であった。台頭著しい穂積系への対抗意識もあり、苦々しく思っていた筈である。やがて孝元帝が崩御し開化天皇が即位、この伊香色謎妃を立てて皇后としたことで、遂に大御気主命の怒りが爆発した。それを秀真伝は詳しく述べている。その文体は五・七調の長歌で独特のものであるう。難解であるので現代風の文章に改めると、

 天照大神の御代、機の道と云う刑法が制定された。それによればこの世の中で、およそ母を犯すほどの大罪はない。遠い昔のこと伊奘諾尊の弟椋杵尊(くらきねみこと)が民のサシミ女を妻とした。サシミ女は椋子媛を生んだので、椋杵尊はその兄胡久美も実の子の如く大事に育てた。その深い慈悲を受けたにも関わらず恩を忘れ、椋杵尊が亡なると、兄の胡久美は椋子媛を白人に嫁がせ、母のサシミ女もつけて出してしまった。白人(しらひと)は椋杵尊の遺骸が立山に埋葬されると、なんと思ってか椋子と母を胡久美に送り返して来たのである。胡久美は父違いの椋子と実の母を犯してしまう。これが高天原の機の道にはばかる罪人になり、いまもってその悪名は誰もが知っている事である・・・・
 「君は其のことをお忘れか、今正にその後を真似て伊香色謎媛を皇后とされるのですか。機の道では先帝の后妃は皆母君として尊べと定め、現存しています。色謎媛を皇后とすれば、母を犯す大罪ですぞ、一体何をお考えですか」。


 その場に居合わせた鬱色雄は少しも動ぜず、一族の当主としての威厳を持って

「何を迷いごとを言われる。天帝孝元帝は鬱色謎媛を皇后とされた。皇后の兄はこの私鬱色雄であり、弟臍杵の娘が伊香色謎媛ですぞ。孝元大皇后と伊香色謎媛は叔母と姪の関係で、決して母ではない。言いがかりも程が過ぎる」
「天照大神の機の道では、女が一旦嫁ぐと夫の両親を生みの親とする教えである。昔、孝の機の道をよく考えあれ、開化帝からすれば孝元皇后も、妃であられた伊香色謎媛も母であり、伊香色謎媛からすれば、現帝は夫であり、また子でも在りますぞ。この理をお忘れで末代までの汚名を受けますか」 

鬱色雄は一歩も譲らず、

「開化皇后の母は孝元皇后である。天に月が一つしかないと同じく、孝元皇后はこの月である。孝元天皇に多数の妃が居られたとしても御下女であり、天にある多数の星のごときものだ。先帝はこれお召したにすぎぬ。頭を冷やしてお考えなされ」

大御気主命の怒りは収まらず、

「大神のお定めを拝し歴代天皇は天つ日嗣を伝えてきた。鬱色雄よ、汝は君の暗慮をいさめもせず帝におもねり、開化天皇を末代まで台なしにするか。全く心の汚い恐ろしい男であるぞ。君もまた君でありますぞ。天照大神の神聖の機の道から外れると申されるか。いやはや身も心もあきれ果てた君でありますぞ。最早臣下としての礼はとりますまい」

大御気主命は怒りを露わにして帰ってしまうが、帝はこれも留意せず、大御気主親子は自宅に引きこもり、遂に謹慎の身になってしまったのである。鬱色雄の穂積連は物部系の出である。神武天皇統の昔、御諸山にあった大社には火之明饒速日尊が祭神として信座していた。いつの間にか御諸山周辺に居を持った大物主家の事代主命が大和一体の守り神となり、御諸山の大三輪神の祭神が大物主命とすり替わってしまったのだ。大国魂神と大国主神の名前が似ているため出雲系の巧みな宗教がらみの政略でそのようになった、と前述の山本健造氏は力説している。

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