おとぎ話でない現実的歴史を伝えたい。日本の超古代史への誘い

木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について(12)
 
  姫は白子を立ち、三島の屋敷に戻ってくる。六月一日、姫はまるまると肥った三つ子を産み此の事を尊に知らせるため使いが伊勢に発つ。しかし尊からは何の返事もなく、姫の悲しみはますます強く、富士の裾野に、内から出られない部屋を作り、周囲に柴の垣を廻らし三人の子を抱いて死を覚悟の悲しい抗議をする。「この子がアダ種ならば子供と私は焼けしぬでしょう」姫はこう言って部屋に火をつける。火は燃え盛り、すぐあたりは火の海になる。熱さでもがき泣き叫ぶ子供たち。この様子を近くの峰から見ていた竜が急に舞い下り、水を吐きかけて子供を一人ずつ助け出したと云われている。人々もこれに気付き大勢で火を消し、間一髪のところで姫を無事助け出した。酒折の宮まで親子を輿に乗せて送りこみ、事の次第を伊勢にいる尊に知らせたのである。
 使者が白子の宿を通ったとき、六月一日に季節外れの桜が咲きだし、それが今尚咲き続けている事を知って眼を凝らす程に驚き、全身が打たれしびれる程の思いであった。伊勢に着くと使者は姫の悲しみ、三人の子供のこと、白子の桜の美しさを涙と共に申し述べたのである。瓊瓊杵尊は此の時やっと姫の潔白を悟り、鴨舟(小型の櫓漕ぎの舟)で夜昼を継いでオキツの浜に着く。此の事を酒折の宮に知らせるが姫は部屋に籠り床に伏して一向に会おうとしない。姫の気持は良く分かる。
尊は慚愧の気持が強く、短冊に歌を書いて今の気持を姫に伝える。
『沖津藻は 浜には寄れど さや寝床も あたわぬかもよ 浜津千鳥よ』
沖の藻が浜辺に押し寄せてくるのに、安らかに迎えてくれる場所がない。浜の千鳥よ何とかしておくれ(わたしの気持を察しておくれ)。
 姫の胸につかえていた死にたい程の悔しさが一瞬にして溶けて去り、無上の喜びが体を走る。
『この歌に 恨みの涙 溶け落ちて 肝にこたえの 徒歩裸足 裾野走りて オキツ浜』
悲しみは深い程、喜びはその倍である。裸足で浜を尊のもとに走る葦津姫の姿。眼に浮かぶ美しい光景である。
 この物語は今の世には多分受けないであろう。40−50年前ならお涙頂戴の絶好のドラマの筋書きであろうが。「講談師見てきたような嘘をつき」よく言われる言葉だがこれは嘘ではなく超古代文書秀真伝の記述である。七・五調の長歌で綴ってあり上述の如き文ではない。松本善之助氏の著書のかなりの部分を拝借し、私の話の流れを組み入れたものだが史実を大きく曲げたものとは思っていない。子供を産んだその日から白子の桜は咲いて絶えない。「姫の名を変えよう、木花咲哉姫が良い」尊はそう言って大変に喜んだと云う。


 木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について 目次
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10
その11 その12 その13 その14 その15 その16

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